REPORT

2016.08.04

いま、グローバル化と日本企業のあり方を探る

企業のあり方を考えるとき、今や欠かせないキーワードとなった「グローバル化」と「イノベーション」。この2つの言葉をめぐる日本企業の現状と未来について、明治大学 国際日本学部 教授の小笠原泰氏に伺いました。

グローバル化とは何か

ゲスト:小笠原 泰(明治大学 国際日本学部 教授)
パネリスト:上西 基弘(株式会社岡村製作所)
山田 雄介(株式会社岡村製作所)
モデレーター:鈴木 絵美(株式会社岡村製作所)

 

近年、日本企業が標榜しはじめている働き方変革やチェンジマネジメント。その背景のひとつとして、もはや後戻りはできず、さらに加速し続ける「グローバル化」があります。このグローバル化の時代を生き抜く日本企業のあり方とは一体どのようなものでしょうか。

今回は、経営コンサルタントとして外資系企業、日本企業に勤務された後、現在、明治大学 国際日本学部 教授としてご活躍される小笠原泰氏をゲストにお迎えし、グローバル化とは何か、そして、グローバル化の中で日本企業がイノベーションを起こす確率を上げるための要素について伺いました。

明治大学 国際日本学部 教授 小笠原 泰 氏

現代のグローバル化と日本型イノベーション

日本企業の在り方を考える際に、欠かせないキーワードとなっている「グローバル化」。近年注目されてきた現象と捉えられがちですが、小笠原氏は、「グローバル化自体は、新しいものではなく、これまでの歴史上も存在していた」と指摘。ここ数年、あらゆる場面でグローバル化という言葉が使われるようになりましたが、本来の意味である、「地球規模での経済活動の展開」という現象自体は新しいものではなく、大英帝国時代など、これまでの歴史上にもありました。では、現代のグローバル化は、これまでとどう違うのでしょうか。小笠原氏は、現代のグローバル化の最大の特徴として、急速なICT技術革新に牽引されているため、組織や国境などの物理的制約を受けずに加速している点を取り上げ、「現代のグローバル化は、技術的なドライブがとても強いため、従来以上に革新的なパラダイムシフト(社会全体の価値観などの劇的な変化)といえる」と述べました。

そういった時代の中で、日本ならではのイノベーションは起こせるのでしょうか。小笠原氏は、日本人の自己構造とそれに規定される日本的な思考メカニズムを反映した「日本型イノベーション」を提示し、欧米型イノベーションとは明確な違いがあると説明されました。

「欧米型の考え方では、まずアウトプットを定義し、そこにいたるプロセスの設計とその再現性を重視します。その緻密な設計を元に優れたアウトプットを出した場合(結果)が、イノベーションとなります。再現性を担保する硬い概念が前提なので、予期しなかったアウトプットが出来上がった場合、それがたとえ有益なものであってもイノベーションとは呼ばず、“設計ミス”と捉えられる」と小笠原氏。

そのため、欧米でイノベーションが起きる際は、設計と言う「入り口」、つまり現状の否定(意図的な非連続)から始まる「革新」を志向するとのこと。「欧米の文化として、スティーブ・ジョブズなどのルールブレイカーが好まれるのはこの影響です。入り口のルールを変えようとする者が、イノベーションを生み出すとされるのです」。

日本と欧米の違いについて説明する小笠原氏

小笠原氏は、日本を「アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような国」と表現し、日本の場合はルールブレイカーを受け入れにくい、保守的な文化だと述べました。欧米に比べると、設計的思考は弱く、イノベーションの生まれ方も、入り口ではなく、与えられた役割を精緻化していくプロセスの遂行から「刷新」がなされ、その結果がイノベーションを引き起こすこともあるからだそうです。

決定的な違いは、日本人は再現性を重視しないということ。小笠原氏は、「日本人はプロセスそのものが好きなので、絶えず磨いていく。それによって出来上がるアウトプットは、当然ながら様々であるが、それも良い。そういう意味では、日本型イノベーションは再現性の担保を重視しない柔軟性が前提となる「出口」にポイントがあると言えます。しかし、柔軟性を持ちつつも、プロセスを変えるようなルールブレイカーは排除したがる。この傾向はなかなか面白いのですが、厄介でもあります」と語りました。

小笠原氏は、欧米型イノベーションを「 “モノ” のイノベーション」、日本型イノベーションを「 “こと” のイノベーション」と定義しました。欧米は、「りんご」「犬」など、自分以外の他の物体を、客体としてコントロールできる安定的な「モノ」として、はっきりと対象化して考えるのに対し、日本は、主体と客体の関係性を曖昧にする不安定な「こと」という捉え方をして、その時の感覚を大切にするという違いがある。

小笠原氏は、この違いを歴史上の人物を例に解説しました。「木から落ちるりんごを見た時、ニュートンは、なぜりんごは落ちるのかと考え、万有引力を発見しました。それは、ニュートン自身と、りんごの果実、りんごの木をはっきり分けて考えたからです。もしも、その瞬間を清少納言が見ていたら、木からりんごが落ちる瞬間や空間そのものに感情を揺さぶられ、その時の感覚を『枕草子』に「いとをかし」と記したでしょう。しかし、その「いとをかし」と感じた一瞬を日本人は大切にするので、清少納言が同じ光景を3日後に見たとしても、同じように「いとをかし」とはならないのです。これが日本の“こと”の考え方です」。

「あそび」が日本型イノベーションを生み出す

日本型イノベーションを生み出す「あそび」

小笠原氏は、日本型イノベーションへのアプローチとして日本企業の経営者が注力すべき点として、一見無駄と思える「あそび」が重要だと述べました。「あそび」とは、例えばモノづくりが好きな人たちが社内で勝手に集まって、業務時間外に自分たちが作りたいモノを作ってみて、それを仲間と楽しむ時間のこと。「かつて、そうした時間があったからこそ、柔軟な発想の中で様々な製品が生まれ、日本の技術が世界的に認められるようになった」と小笠原氏。時代の変化と共に、「あそび」の時間は、「残業」という名前に変わり、日本企業はこの時間を減らさざるを得ない状況になってしまいました。企業によっては「あそび」の重要性に気づき、社員が「あそべる」時間や環境を制度的に整えている企業もありますが、多くの企業が、無駄な時間は無くそうという風潮になっています。

小笠原氏は「無駄があったからこそ、良い意味での曖昧さや混沌が生まれ、それによって活性化が求められ、日本型イノベーションが生まれやすい状況が自然とできていた。現代の徹底的に無駄を排除しようとする風潮は、企業の生産性を高めるという点では評価できるが、イノベーションという観点で見ると、かえって日本の良さを失わせているという面もある」と、無駄を排除する風潮が必ずしも良いとは言えないという考え方を示しました。

あそびを維持しつつ、しかしながらこのグローバル化の時代を勝ち抜くには、より厳しくアウトプットも追求していく必要がある。この相反する要件を乗り越えることができれば、日本の組織マネジメントは強力なものになるでしょう。簡単な道のりではありません。

あそびと共に重要なのが、柔軟に新奇性を取り込む姿勢です。日本には、海外から様々な文化や概念、技術などを無化して取り入れて発展してきたという歴史的背景がありますが、バブル崩壊以降、そうした傾向は衰えてきたと小笠原氏は警鐘を鳴らします。「経済が発展して社会が成熟し、国全体として、海外から新しいものを取り入れる必要はない、というような非常に内向的な感覚になってきている。日本型イノベーションといっても、海外から学んで新奇性を取り込むことは欠かせない」と指摘。

さらに新奇性を取り入れることに関連して、ルールブレイカーを認める努力をすることも重要と述べ、「日本にルールブレイカーが存在しないわけではない。日本の企業内にいるルールブレイカーを認める姿勢を周囲が見せていくことで、日本型イノベーションをさらに加速させていくことができる」可能性があるかもしれないと語りました。

日本企業はどこへ向かうのか

イノベーションの定義を問いかける小笠原氏

CreativeとInnovativeの違い

イノベーションを起こさなければいけないという意識があるのにもかかわらず、日本企業が、何をすれば良いのかわからなくなってしまう原因として、「日本におけるイノベーションの定義が曖昧なままで、宙に浮いているような状態になってしまっている」と小笠原氏は指摘し、unique、creative、innovativeという3語の意味の違いについて参加者に問いかけました。

欧米で議論する際には、まず話す相手と言葉の定義を明確にするのが当然で、「unique」とは単なる独自性で、その価値の有無はあまり関係ありません。一方、「innovation」や「innovative」と表現するときの定義は主に「これまでの社会の枠組みをひっくり返してしまうような革新」であり、大多数の人にとって価値があり、容認できるパラダイムシフトを指しますが、現在の日本で「イノベーション」という言葉を使う場合、そのほとんどが一部の人にとって価値がある「creative(創造的)」に相当する意味に近いそうです。なぜそのような状況になってしまったのでしょうか。その理由について小笠原氏は「日本人が『クリエイティブ』という言葉を定義しないまま使い古してしまって、『クリエイティブ』はもうカッコよくないから。日本人は、イノベーションと称して、ビジネスで儲かるサイズのものが生み出せれば、それで良い」と語ります。

もちろんそれは良いことですが、ビジネス上の『クリエイティブ』は容易に追随されますので、競争優位になるとは限りません。しかし、これが企業に課せられた競争という運命かと思います。そもそも、本当の意味でのイノベーションはそうそう頻繁に起こるものではありません。

日本人は、言葉の意味を考えずに新しい言葉を使ってしまう傾向があり、internationalとglobalについても同様のことが言えるとのこと。近年の日本では、internationalよりもglobalを耳にすることが多くなり、どちらも日本では、「国際」と訳してしまいがちですが、この2語の意味は大きく違います。internationalは、「国の存在を前提とし、国境を越える」という由来があり、globalは、「国の存在は前提とせず、世界を地球規模で捉える」という由来の言葉です。

小笠原氏は、中国では「国際(international)」「全球(global)」というように明確に表記が分かれていると説明し、「言葉の意味を定義せずに使うのは日本だけ。使う言葉自体に十人十色の定義があっては、革新を起こしたいと思っていくら議論を重ねても、終着点が見つかるはずがない」と苦言を呈しました。

企業のあり方の変化が求められている

所有→使用→シェアへ

小笠原氏は、現代のグローバル化は、ICTにより距離、時間、空間がこれまでにないレベルで圧縮されていき、それに伴い、経済、政治、文化も地球規模で結合し、相互に依存していく可能性があるとしました。また、技術と資本が自由に流通するネットワークの拡大は、企業や個人間の取引費用の大幅な抑制につながることから、特に意思決定に時間がかかり、取引の手順が煩雑になりがちな大企業では、組織のあり方を見直していくこともあるだろうと指摘しました。つまり、「大きいことは良いことだ」の終焉です。

モノの所有に対する認識の変化を見ても、企業のあり方の変革を求められていると小笠原氏は言います。車や電化製品などが普及し始め、モノを持たないと何もできないと考えられていた「所有の時代」から、電車や使い捨て商品などの「使用の時代」を経て、現代はカーシェア、ルームシェアなどが話題になり、「シェアの時代」として個人がモノを持たなくてもよい時代になってきているそうです。

公共の交通網が発達した今、車を持つ必要がなく、車を買うよりも必要な時にシェアした方が安く済むため、カーシェアに関しては都市部で顕著にその需要が表れています。シェアによってモノが売れない時代に入ったことで、モノをただ作って売るだけでは企業は存続できないため、カーシェアサービスを展開する自動車メーカーが出てきたように、製品や商品からサービスへの転換を迫られている企業も多くあります。「モノだけでなく、人の時間のシェアも起きつつある。企業形態だけでなく、働き方も大きく変わっていくだろう」と小笠原氏は予想します。

当たり前を当たり前としない意識を持つことが重要

当事者意識を持って「企てる」から「試みる」へ

グローバル化に対する日本人の姿勢として、当事者意識を持つことが重要だと小笠原氏は述べました。小笠原氏は、日本人があらゆる物事に対して無関心になってきていることに危機感を感じ、学生に対しても当事者意識を持つように指導しているそうです。選択の自由を望むことと当事者意識を持つことは表裏一体です。

そして最後に、日本人のマイナス面である減点思考について説明しました。「失敗したら、減点されてしまう、と考えるのではなく、失敗を素直に認め、そこから失敗を上回る結果を出してやるという気概を持たなければならない」。「企てる」ことから一歩踏み出して、「試みる」ということ。企業としても、当事者意識を持ち、現実を直視し、持続的に変容していくことによって、グローバル化の中でも組織を存続させていく糸口が見えてくるのではないでしょうか。

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